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理由、目的、背景

野村が米国市場に上場した理由は、日本企業や機関投資家が国際展開を急いでいるのに対応するためだった。海外での事業基盤を強化することを目的としていた。

氏家純一社長がオープニング・ベル

2001年12月17日に上場した野村の米預託証券(ADR)は、取引開始の午前9時半(日本時間午後11時半)直後、13ドルの初値をつけた。同じ日の東京市場の終値(ドル換算)をやや上回る水準だった。これに先立ち野村の氏家純一社長はニューヨーク証取でリチャード・グラッソー同証取会長らと取引開始の鐘(オープニング・ベル)を鳴らした。氏家氏はその後の記者会見で「日本の顧客の国際展開に役立てる」などと上場の意義を強調した。

海外強化を再開

野村は1998年の国際金融市場の混乱を受けて、海外業務の拡大を凍結していた。しかし、2001年に入って、再び海外事業の強化を進めた。2001年10月には米投資銀行トーマス・ワイゼル・パートナーズと提携した。

日本企業と外国企業のM&Aで劣勢

20世紀末から21世紀初頭にかけて、日本企業の外国企業との合併・買収(M&A)において、欧米の証券会社や投資銀行が活躍する場面が増加した。日本企業の海外投資家からの資金調達においても、外資系の金融機関が優勢だった。

海外にもっと強い基盤がないと、日本の業務も弱体化するとの危機感が強まっていた。

買収がやりやすくなった

上場を機に、野村のADRが幅広く流通するようになった。アメリカにおいて上場企業としての法的な扱いを得ることになった。これによって、野村自身も、株式交換を利用した企業買収の手続きが簡単になった。提携や買収がしやすくなった。

米国の現地企業に食い込める人材

上場による知名度向上のメリットも大きかった。米国の現地企業に対して営業力や提案力を発揮できる人材の獲得がしやすくなった。上場することで、外国人株主が増加した。企業統治や情報開示の改革も促された。

大和証券も準備していた

このころ、大和証券、日興証券グループも米国会計基準での財務諸表の開示に踏み切った。2002年以降の上場を目指して準備を進めていた。日興は1998年に米シティグループと投資銀行分野で包括提携した。大和もM&Aや資産運用など分野別に外国勢と組み、海外基盤を強化していた。2001年9月末の外国人持ち株比率は野村が30.7%、大和が31.6%、日興が49.3%だった。