会社概要

ごあいさつ

この度は、ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
こうしてご縁をいただいたことに感謝申し上げます。

弊社は「投資成果を上げる」この一点を達成するため、日々現場で助言を行う投資顧問会社です。

インターネット全盛の昨今、氾濫する投資情報過多の中で、いかに投資家の皆様に利益を上げていただくのか、
弊社が提供できることは何か、またそのための最良の方法は何か、これを徹底的に考え、

・ 入会金無し
・ 年会費無し
・ 成功報酬3割のみ
・ 損失が発生したら、損失を埋めてからでないと利益は頂かない

と言う究極のシステムで、皆様に投資助言をご提供しております。

一人でも多くの投資家様に、このシステムを知って頂き、
投資成果を手にしていただくお手伝いができれば幸いです。

皆様のますますの投資成果向上を御祈願申し上げます。

別 府 孝 男

会社概要

社名 株式会社 ノーブル (金融商品取引業者 投資助言業)
住所 〒104-0032
東京都中央区八丁堀1-12-6 栄ビル2F
電話 03-5566-0005
FAX 03-5566-0010
登録番号 関東財務局長(金商)第935号
一般社団法人日本投資顧問業協会会員第011-00600号
資本金 1000万円
設立 平成6年11月12日
役員 代表取締役 別府孝男
取締役   徳田喜一
監査役   別府佳枝
主要株主 別府孝男
分析者・投資判断者及び助言者 徳田喜一
寶保陽一郎
南本義喜
荒井秀昭
別府孝男

代表取締役 別府孝男の自己紹介


私は北海道紋別市鴻之舞生まれです。(1950年)
鴻之舞という所は紋別市からバスで40分ぐらい南に入ったところにあります。

以前は金・銀の発掘量では「東洋一」と言うことで社会の教科書にも載っていました。
それが子供心に誇りを感じていた事を今でも覚えています。

紋別港は流氷祭りで有名ですが、私自身は一回も行った事はありません。
(バスがなかったということも 理由のひとつですが、流氷というのは自然であり、
地元では当たり前、当時の子供としては全く興味がありませんでした。)

私が中学2年の頃からゆっくりと閉山に向かい、
私の家族もこの地を離れなければならなくなったわけです。

その後、千葉県柏市に引っ越し、私も中学3年の4月に常磐松中学に転校。
ちなみに、その当初の住宅の値段は33坪、平屋で65万円だったそうです。
後から父から聞いた話です。

転校したら、びっくり。
鞄はタスキ掛けのズック鞄、行き帰りの靴はズック靴。
雨降りは田んぼを渡らなければ学校に行けない。
今までに味わったことがない事でした。

鴻之舞の中学では行き帰りは革靴ではなかったですが、「クラリーノ」という今の合皮。
また鞄は革鞄。全員がそのような様相をしていました。

また、鴻之舞の中学は小学校から中学校に入るとき全員試験があり、
能力別学級という4クラスに分けられ、年に5回クラスの変更がありました。
ですから各自、それなりに切磋琢磨していた記憶があります。

また給食は小学校のパン焼き機で焼いた暖かいパン。
主食も副食も、ミルク、たまにはジュース、すべて小学校で手作り。
食器を片づけても自動コンベアで食器洗い。
その当時では画期的でした。
その事が当たり前でしたし、その事が当然と思っていたので、転校した時は驚きを感じましたね。
後から聞いたら、何かモデル校だったようです。

転校先では頭はボーズ。
嫌だったがしょうがなく、少し反発し10分刈り(普通5分刈り)。
また、転校してまもなく、前席の奴が私にチョッカイを出し、殴り合いの喧嘩。
速攻、職員室で担任から大メダマ。
不思議に喧嘩したことで仲良くなりましたが、それを嗅ぎつけた不良グループよりお誘いのコール。
程々につき合いました。
しかし、その不良グループも卒業の時は涙もろかったのです。(見た目とは違うことを知る。)

そんなこんなで、入試の時期。
校長先生自らバイクの運転で、私を後ろに乗せ、おまえは大丈夫だからと言って、
入試先の高校(市川市)まで送って頂きました。
寒かったですが、嬉しかったですね。

結果は30人しか落ちないのに、何故か私がその中に入り、ショック。
滑り止めに私立、千葉県で極悪と言われる高校にやむなく入学。
一学年13クラス。2000人の巨大高校。

当然、その当時の時代です。
お分かりのように、上下関係は非常に想像を絶する程です。
便所の仕切は当然無し。
どのような環境だったかは、想像して頂けるはずです。

一年ボーズはパシリが当然。先輩あっての自分。
当然2年生になれば先輩からの伝統を守るのが礼儀、使命。
ラッパズボン、折り返し3センチ。これで決まり。
学生服の清掃は帽子。革靴はピカピカに。

このように、人はそれなりの中で、それなりの人間形成が作られていきます。
たかが、高校生と言えど、私は、仲間意識は人一倍、今で言う面倒みのいい高校生、
気がつけばなぜか自分に皆が寄ってきている。
先生に皆が反発しても、私が入れば収まる。
とうとう総代になる。

これが、親孝行と言えるかどうかは判りませんが、私的には親孝行。
今の人間関係の考え方や、物事の捉え方もこの仲間から自然にいろいろ事を学んだと思っています。

この考え方もわずか30人しか落ちない高校には入ることができなかったですが、
唯一県下一レベルの低い高校に入ったおかげで、一番大きな大切なものを、
私の周りの人たちから頂いたと、いつも感謝し、
また、このような性格を作ってくれた親に感謝しております。

当然、このように高校生活をしていたわけですので、
ストレートに大学には入学できるレベルではないですね。

神田予備校で一浪。
予備校へ行く前に、上野図書館で9時から12時まで勉強。

まあ、偶然でしょう。
東京電機大学電気工学科に入学。

高校時の性格は大学に行っても続投。
大学一年夏の時点で27単位しか取れず。
親に何の為に大学に入学したかをコンコンと言われる。
大学2年から3年に上級するとき、約3分の1は仮進級、3分の1は落第、
残りの3分の1だけが4年生までストレートという規定がありヤバイと気づく。
本来の自分に返る。(どれが本来の自分か書いている本人も分からない?)

得意科目はと聞かれれば、「微分方程式」と「電気工学概論」。
(今は、もう9割忘れているかも。)

自分でも驚いたことがあります。
「微分方程式」の試験が年2回あるわけですが、この担当の先生は
「前期の試験で120点(150点満点)を取れば単位は上げます。」
とうかつにも漏らしたわけです。

この私です。聞き漏らしはしません。
「先生、本当に120点取れば後期は例え0点でも単位は頂けるのですか。」
(図々しいものいい加減にしろ。)
私は言ってしまいました。

「いいですよ」との返事。
私は燃えましたね。
発表の日です。
「この中で、最高の120点を取った学生がいます。」
ものの見事に単位を頂きました。やったね。
やればできるじゃないか。(鼻高々)

こんな学生生活、充実し、無難に規定通り卒業。
この時期の社会は田中角栄首相の「日本列島改造論」、景気は最高の時代。
当然、給料はリクルートの中では最高の所を選ぶ。
給料中心、現実的だね~。

東光電気工事入社、工事現場の施工管理。
最初の担当が新宿三井ビル3階から55階担当。
入社ペイペイの仕事は現場の見回り。(それでも監督という立場)
仕事も分からず職人との会話もままならず。
他の同期は図面を書かせてもらっている。

私がついた上司は、器具の片付け、運搬、重いパイプを担ぎ移動など
職方がやる仕事ばかりを命令。
さらに、「別府君、台車を使わせてあげるから少しは楽になるだろう。ありがたく思え。」
その上司は一歩も現場事務所から出ず、現場が図面通り施工されているかどうかも把握していない。
それでもペイペイ。何もいえない。悔しい。

その時です。逆襲の時期が来ました。
工事現場の事務所に会社の重役が来所。
このチャンスとばかり、私は台車一杯に照明器具の壊れているものを一杯乗せ、勢いよく事務所に突入。
重役もびっくり。
「こんな仕事をしているのか。もっとやらせる仕事があるだろう。」と上司が言ってくれた。

その時、現場の所長もすかさず、
「○○君、今まで言わなかったけれど、君は当社の社員がすべき事を把握せず、
作業員の仕事をさせて、君は現場にも行かず何をやっているのか。
今すぐ、一人で現場に行って来い。」

重役もびっくり。
その上司はゼネコンにはビッタリ、表裏のある奴。
表裏があってもよいが、施工してくれる職方を馬鹿にしている行為を所長は把握していた事に対し、
「見ている人は必ずいる」と思っただけで、私は胸のつかえがとれたのを覚えています。

当然、私は、職方とのつき合い方は、高校、大学、と私の持ち味。
人とすぐに解け合い、その結果、結果を求めていることはさらさらなくても、結果として周りが自分を支えてくれる。

職人の長も一目おいてくれるようになり、結果として、3年目には電工さん30名を引き連れ、
千葉県幕張、そごう幕張物流センターの現場代理人に抜擢。
6600坪物流センター、それも、電気工事の花形、受変電幹線工事、誰もがやりたい工事です。
それも3年目でしかも30人の職方をつれて現場に入るのです。
責任とやり甲斐。たまりません。

毎日図面を引き、それを職方に回す。
この繰り返し、土日も、休みも時間の感覚もなく、いかにして職方に自分の図面を通して、
施工してもらう事だけを考え毎日を過ごしたものです。
充実です。
当然ここでも、自分の持ち味である、人の中に、自然と入り込み、結果として、自分を支えてくれる。
人はありがたいな。といつも感謝です。

事故もなく竣工。
この職方の中に株式をやっている職人がいたわけです。
その当初は「そういう世界があるのか」という程度。
のちに私の人生をも変える事になるとは、その当時の私は知るはずはありません。
人生は判らないものです。

この図面引きの仕事は嫌いではありませんでしたが、時間に余裕がなく、また健康も害し退職。

生活をしなければならなく、宅急便の仕事に移りました。

ここでまた、人としての大きなプレゼントを頂くことになります。
配達、集荷、朝7時には出勤。
全員で各箇所へ配達する為、種分け作業開始。
一人でも遅刻すると誰かに負担がかかる。
その意識が心に伝わり、誰も手抜きをしない。
また、集荷時一人では手に負えない時、無線で応援。
ものの数分近くの者が手助け。

かけひきもなく、相手の為だけに手伝い、それが自分に、同じように降りかかってきた時、
同じように、周りの者が手をかす。
そこには、ありがとうね。の言葉しかない。
その言葉しか言わない。
その時、この会社は必ず伸びるな。
とその時感じました。
同時に会社と言うのは社員がいての会社。
社員が会社をささえている。
社員は宝という感覚を重要な事を学ぶことができました。
その企業が今のヤマト運輸です。

私にとって、今の職業の中で、重要な事柄を教えて頂いた貴重な時間でした。
生活のため、作業に対し、毎日をこなす日々が続いたわけですが、
自営をしたい希望をかねてから持っていたせいか、
ある時、ふっと電気工事の会社での職人がやっていた株式を、ふっと脳裏に浮かんだのです。
ただそれも少し株式の事を勉強してみようかと軽く思った程度です。

書店に行きますと、株式は私に取って、別世界。
ゴールデンチャート社が発行している週足チャート、株式の入門書などありましたが、
当初はチャートブックは特定の書店しかありませんでした。

これも偶然なのですが、読売新聞に資金運用の会社で社員募集の広告があり、
内容は「証券の運用」と書いてありました。

証券の運用って、何だろう?
わからないまま、面接。

面接で話を聞いても株式の事をやればいいのかは、理解できるが、
具体的に何をする仕事とか、まではいくら考えても質問しても分からず、そのまま入社。

入ってびっくり。
営業と株式部に分かれており、なにやら
「いい銘柄があるから買ってみないですか。」
「倍になりますよ。」
と言う会話を40人ぐらいの社員が全員電話を握り大きな声で話しているわけです。

そのうち見よう見まねで、私も上司に言われるままに、電話を掛け始める。
ちなみに、この当時は投資顧問業法という法律がない無法時代です。

先輩達は「○○円の入会金を支払えば良い銘柄を1年間、教えますよ」と勧誘し、
どんどん入会をさせているわけです。

私はすごい情報があるんだなと、その当初3ヶ月ぐらい、信じておりました。
しかし次第に会社の内容が分かり初め、入会を目的に勧誘をしており、
投資効率は二の次と言うことが分かってきました。

また、入会をさせた会員は、株式部に移り、今度は
「○○円の入会金より、その上の○○円の入会金を払ってくれれば特別な銘柄をおしえますよ。」
と勧誘しランクアップ。

これはひどいなと感じ、私自身チャートの勉強を徹底的にやり始めました。

まだ、投資顧問業法が成立する準備段階の時期。
この時に私は、偶然にも電気工学の出身。
株式は株価と出来高で成り立っていることを発見。
情報とテクニカルの両輪で株式が成り立っていることを少し、把握し始めた頃です。

この勉強を生かすには、まず、顧客にチャートブックを取り寄せて頂きました。
取り寄せと言っても特定の書店しか売っていない時代です。
当然今のように、株価も板も証券会社以外は公表していない時期です。
短波放送と業界紙が主流の時代です。
タイムリーな株価は証券会社に聞くしかないのです。

その中で、私はチャートブックを購入して頂いている方に、一人、一人、
チャートの見方と株式の構成をお教えして、自分の会員を増やしたわけです。

しかしこれは会社の方針と違うと言うことで、それはそれは、ひどいいじめをされたものです。

当然、入社した会社は、投資顧問業法成立後、関東財務局の番号頂けるはずがなく倒産。

その後も認可をしている投資顧問に就職しましたが、行っていることは昔と同じ、
ここでも私はチャートを教え顧客獲得をしました。

しかし、どうしても、私は入会金を頂き、投資成果が良くても、悪くても、
一定の管理費を頂くことに、大きな疑問をもって助言をしておりました。
平たく言えば、成績がふるわなくても、入会金でメシ食っていいのか!?

相場が低迷すれば当然株価は下落、運用成績は悪化。
自分がしたい助言はどのようにしたいのか。
この疑問を持ちながら、テクニカルを実践で合わせた結果、あることが分かりました。

株価は人の心理、心理は証券会社に売買という形で注文を出す。
注文は出来高として現れる。

この事を気づいた時、数学に近いな、と感じました。

株式は隠しきりない真実が2つある事に気づいたわけです。
この隠し切れない株価と出来高の研究が私の役目だとはっきりと認識した時です。
この二つはだましようがない真実。
株式の中で2つが真実。

この時、私は全身に血が駆けめぐった事を今でも忘れません。

これをするには、自分で会社を興さなければ絶対に実らないと決断した瞬間です。
これが東京の八丁堀でノーブルの誕生したきっかけです。

平成6年11月に設立。
翌年平成7年1月に関東財務局長登録番号600号を頂き開業。

念願だった、2つの真実、株価と出来高を組み合わせ、
その中に、人の心理までをプラスした指標を作ることができないか。

模索し、何度も、何度も検証を繰り返し、ようやく、当社独自指標である
NVR(ノーブルベクトルレシオ)が完成したわけです。

当然、NVR指標に合う銘柄と合わない銘柄があります。
しかし、殆どの銘柄がこのNVRの指標が示す確率が高く、開業の平成7年以来、
どの指標よりも確率が高いと自負しております。

評価は社員のみならず、高い確率には顧客にも高い評価を頂いております。

また、「おはよう!株式」の放送の中でも、私にとって、この独自指標は
欠かすことのできない指標ですし、その評価はリスナーの方々から銘柄の
実績から高い評価を頂いております。

しかし、私はもう一つ投資顧問業として開業以来、思い続けたことがありました。

それは、投資顧問としての今までの投資顧問では考えられない究極の行為を
しようと思っていることです。

そこに至ったのは、会員さんの声、入会しない顧客様の声を反映したい。と言う事です。
お客様の声として、多かった事は3つありました。

一つ目は、投資助言は欲しいが入会金は払いたくない。
二つ目は、入会金を払っても思うような成果が出なかったという過去の経験。
その内容は、上昇した時だけ、電話や指示があり、下落時は電話が激減し売り指示をされず、シコリになるのが多かった。
三つ目は、損失は株式投資でつきものだが、指示された銘柄で損失が出た場合、
損失を埋めた後、利益の中からだったら報酬はいくらでも支払うよ。
それと、おまえの所もどうせ下落したら電話も無くほったらかしだろう。

この3つが殆どの顧客の声だったわけです。
そこで3つ全ての声を応える為、一つ一つどのようにすれば良いか、何を改革すれば良いか。
言えることは、この3つ、投資家が求めている全て貴重な声なのです。

一つ目の入会金が投資家の負担ならば無くせばよい。
入会金を無くするのは理論上、簡単。
しかし、経営的には、危険すぎる。

証券のファンド、一任勘定、ラップ、等も管理費を徴収。管理費で経営をしている。
しかし、投資成果が善し悪しに関係なく、しっかりと管理費は別物として存在している。

他の投資顧問はどうでしょう。
今でも、殆どの投資顧問会社は、年会費、また入会金で経営をし、助言の成果に関係なく
管理費で運営している。
しかし、私がやりたい事は「投資家の生の声に応える」こと。
それが私を動かす一歩になったわけです。

ここで私は、悩みに悩み、
まず、入会金無し、管理費無し、更新料無しという新システムの話を社員に伝える行動に移りました。

社員は、自分たちの収入はどうするのですか。
入会金がなければ経営はどうするのですか。

私は社員に対し、
「投資成果を上げるノウハウを今までの積み重ねた当社のノウハウをもう一度、
根本から見直し、努力するしかないね。」
「銘柄の選定方法も、売買の方法、また、下落したときの対処方法、
全てをもう一度考え直さなければならないね。」
「下落した時、上昇した時、NVRを活用し、もう一度ロウソク足の研究、出来高、
人の心理、再検証して見ようよ。」

など、現実にこのシステムを実行に移した時、見直さなければならない事、
またやらなければならない現実を事細かく説明をしました。

いろいろな反発がありましたね。

しかし、私は2010年11月11日大きな決断をしました。

その方法をとるならばやめます。と一部の社員が退職。
説得できなかった自分に不甲斐なさはあったが、やはり、皆も生活がかかっているから、それも良し。と自分に言い聞かせる。
残った社員は、これからの投資顧問のあるべき姿を充分に理解してくれました。
有り難いことです。

当時、残った社員と上記の3つの事項を再度煮詰めました。

一つ目の声の、「投資助言は欲しいが入会金は払いたくない」の点については、
即決ができ、入会金を無くす方向へ持っていく。

二つ目の声の「入会金を払っても思うような成果が出なかった」の点については、
当社のパソコンシステムは、検索機能も充実させており、選定銘柄の第一歩は買いの水準が決め手になります。
その為に、買いの水準が最も良いと思われる銘柄をまずピックアップさせ、最後は人の目で最終的に決定する。
さらに、底値圏の銘柄、中段で推移している銘柄にさらに分け、選定し買い水準を決定する。
また、その銘柄の習性、波動、出来高、ピーク出来高など、当社のノウハウを徹底的に、活用し実行する。
それをふまえ、買い、またカラ売りの助言をするときに、必ず、3つを指示するように、徹底する。

その指示の方法は

ア:買いの水準、空売りの水準を決定
イ:その場で売却予定の指示値を決定
ウ:アの買い水準を決定した段階で、買値より下落した場合、逆バリ、また見切り指示を

銘柄毎に判断し指示値を決定。

このアからウを目で両者(顧客様と当社担当者)が確認しご使用の証券会社に注文を出し
て頂く。

確認方法はチャートをFAXや郵送、また、メールで顧客様に送るように徹底する。
空売りも同様です。

三つ目の声の「損失は株式投資でつきものだが、指示された銘柄で損失が出た場合、損失
を埋めた後、利益の中からだったら報酬はいくらでも支払うよ。また、下落したら電話も
こなくなるのだろう」の点については、

エ:利益が出た場合のみ、当社は純利益(手数料、税金等諸経費を控除)の3割のみ頂く。
損失が発生した場合は、その損失を次回以降で埋め、100%相殺をした後、利益が
出て初めて、その利益に対し3割が頂ける。

利益をもたらさない限り、一切報酬は頂かない。
また、当社として損失を最小限にしなければ報酬をいただけないシステムになっている事。

特に下落時には電話の連絡が無いとか、顧客を放置する事は絶対にあり得ないシステムの説明を顧客様に徹底する。

上記は社員と徹底的に会議を開いた事項の一部です。
入会金に甘えず、利益が発生した時のみ報酬を頂けるシステムが出来上がったわけです。

概要は下記の3点です。

1)管理費、入会金、更新料は無し
2)報酬は利益が上がってからの3割のみ。
3)損失が発生したら計上し、その損失を埋めてからではないと報酬は頂かない。

この3つのことを実現したい。

長年、抱え続けた投資顧問の考え方、姿勢の
「成功報酬管理費無し」の完成。
社員も私もこの会員制度こそ、自信のシステムと自負し、時間をかけた会議は終了しました。

即、関東財務局に「業務の内容」の追加変更を提出。
2010年11月11日受領。
新システムのスタートをしたわけです。

残った社員はいつも下記の事を私に言ってくれています。
「今までのように、入会金の話をしなくても良く、顧客との話は利益追求の話ですから、
助言をしている自分が充実しているし、顧客も株式投資がしやすいと言ってくれています。」

また、下落してどうしても見切らなくてはいけない場面でも、
「損失した金額を埋めなければ当社報酬は頂けません。
損失は次回以降で埋めますからこの時点で売却してください。」

これらの類は、会員様に言いにくい部分ですが、社員の声にもハリがでて、利益を追求するしかない、
このシステムは今までとは雲泥の差で、会員様とコミュニケーションがとれていることを、
担当者自身感じているようです。

また、助言の結果、利益を得た時、
会員様は入会金が最初から無い為、入会金を「まずは取り戻そう」という意識がない事から、利益の3割を頂く時でも、
口々に「また、頼むね」「やめないでね。」「ありがとう」と言われ、
その時が「助言者をしていて、本当に良かった」と社員は感動しているようです。

その時に、私はこれが「私が求めた投資顧問の姿」だと感じました。

生き生きと言ってくれる社員の姿に感謝です。
社員と一緒に私も喜びを味わっています。
この喜びを長く会員様と共有したく、精進し「利益の追求」この1点に向かい邁進して参ります。
利益を上げるため努力は惜しみません。

長々とお話を致しましたが、私自身を知って頂く事が、当社の姿勢、考え方を理解して頂けると思い書き記しました。

このような、当投資顧問ですが2010年11月11日に、顧客様からの要望の声で生まれた「成功報酬会員管理費無し」のシステムです。
実行すべき姿の趣旨を決して曲げず今後も邁進して参ります。

是非、御一緒にこのシステムを多くの投資家様に知って頂き投資成果に結びつけて頂ければ幸いです。
皆様のますますの投資成果向上を御祈願申し上げます。
また、皆様と多くの御縁がありますよう深くお待ち申し上げます。

株式会社 ノーブル
代表取締役 別府 孝男

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